先人たちが世界に切り込みを入れてきた言語のおかげで、私たちは、自分と自分以外のヒト・モノ・コトを認識できるようになりました。
いやむしろ、「はからずも認識することになってしまった」と言ったほうが正しいかもしれません。
その結果、他者との差異にも必要以上に敏感になってしまいました。
現代では、それを助長する広告が日夜垂れ流されていることもあって、何かにつけて「あの人は●●なのに私は…」と思わされずにはいられません。
それを超越したのがブッダでした。本来、世界はひとつ。切れ目はない。したがって、他者と比較するような自分など存在しない。
他者とのあいだにある差を取り去ることこそ悟りである、と、まさに悟ったわけです。
万人にこれができるかと言われれば、それは無理でしょう。
ですが、凡人でもできることはあります。
それは、逆説的ですが、差を取り直すことです。
差異に敏感になるのは、すでにある言葉によって作られたイメージとメッセージに踊らされているから。
だから、それらを飲み込んだ上で自分の言葉を作り直せばいい。
世界が編み物だとすれば、みんなが縦横無尽に絡ませてきた糸をほどいて、編み直す。
一番簡単なのは、短くていいので、自分に正直な言葉で文章を書いてみることです。
そうすることで、自分にとって心地いい距離感で世界と向き合うすることができ、他者の言葉に簡単には踊らされなくなります。他人との差異が気にならなくなってきます。
「あの人は●●なのに私は…」と感じている自分がいたら、「ことばで世界を編み直す」を試してみてください。
あ、このブログのタイトルの由来解説みたいになりました。
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